石巻に行きました
ここ数年は仙台で忘年会があるのですが、石巻市が近いので以前から震災遺構の見学をしようと思っていました。今年は翌日の予定を変更して現地を訪ねました。石巻市へは高速道路で小一時間、震災遺構がある南浜へはインターから15分くらいです。

市街地を過ぎると津波で破壊された南浜は平地が広り防潮堤が造られて海は見えません。石巻市では東日本大震災における震災と大津波による被害を震災遺構という形で整備して当時ここで何があったかを学べるようにしてあります。最初に訪れたのが石巻市立門脇小学校の震災遺構でした。単に遺構の陳列ではなく、当時その場所で教職員がどのように考え、どのように行動したのかを丹念にインタビューした映像と文章による展示は、来場者が自ら考えることを求めるというコンセプト通りそれがしっかりと伝わるものでした。門脇小学校の児童は全員高台に避難したため無事だったそうです。
同市の大川小学校震災遺構にも行きました。門脇町から約一時間、当時の報道で見覚えのある石巻市立大川小学校の震災遺構は2階建てのモダンな造りですが、瓦礫の津波に破壊されたコンクリートの建物は2階天井まで9mの津波に破壊されていて悲壮感漂う遺構といわざるを得ません。児童と職員がほぼ全員死亡した場所でもあり、行政の避難計画について最高裁まで争われた経緯があります。大川小学校震災遺構は鎮魂という趣旨もあるそうです。
2つの震災遺構の明暗を分けたものは何なのか、非常時には避難計画を運用する組織の資質が問われるのかもしれません。避難計画の整備、それに基づくマニュアルやルールを極限状況でどのように運用するのか、組織に限らずその資質があるのかを問い続ける必要があるのかもしれません。
門脇小学校の元教頭が展示動画で、日常の学校運営が統制の取れたものであった、非常時の判断については自ら覚悟が必要だった、と語っていたのが印象に残りました。